2010年9月4日土曜日

目標の意味

メタレベルでものを考えない。
そういうものだと思った。

一流になる人は、「それをやって何になるか」とか考えない。
目標を決めたら、それに向けて努力するのみ。
たとえばサッカー日本代表のホンダ△は「レアルの選手になる」という目標自体に全く疑問を持っていないような気がする。

だってメタで考えれば、「ただの使用人」なわけで、経営者のほうが立場が上とかそんな視点はいくらでも存在する。
でもそれを考えすぎると、答のない袋小路に入り込んで、強度の高い努力が考えれば考えるほど出来なくなってくる。

また、起こった現象はすべて、「課題」である。
ワールドカップ直前、日本代表は負け続けた。その負け続けた試合終了後のインタビュー。代表選手はみんなこんなコメントだった。「やろうとしていることの形は見えてきた。ただ、最後のところがうまくいかない。いい課題ができた」
「結果」の意味や重要性は考えない。うまく行かなければ純粋におのれを高める課題を見つけるためのトライアルとする。

目標の意味については積極的に思考停止して、純粋にそれに向けて努力していく。
アスリート向けのメンタルトレーニングの本を読んだが、「その世界で成功することがどういうことか考える」ような項目はなく、「その世界で成功するとどうなるか、何が得られるか」を想像してモチベーションにするかばかり述べていたように思う
練習ノートのつけ方にそんな項目はなかった

目標設定後の思考停止は才能なのか、かなり若いうちの教育とでもいうのか

アスリート的世界と研究的世界はまたちがうのか。「目標をノーベル賞に定めて努力した偉人」の話はほとんど聞かない。
みんな「結果として取った」人たちばかりだ。興味のまま邁進した結果が業績。

これは興味をもつことが才能だというのか

ここでは、目標自体がすでに意味を持たないことに気付く。
やはり強度の高い生き方をするには意味など考える事はただ負担であるだけなのか


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