2010年10月9日土曜日

polaroid SX-70

polaroid SX-70
ebayで購入。
このeames大先生監督のCMを久々に見て。


すばらしい。


こういうモノって、どうしても購入が後回しになってしまう。
生産量が多いから流通していて、いつでも購入できるように思えてしまうし。
値段も、わずかに躊躇するくらいだし。

まだアメリカにあるらしい。どうせ届いたらまた開封せずにしまいこむから、ebayの写真でw

かっこいい

折りたためる

はやく届かないかな

2010年10月5日火曜日

永井均 「翔太と猫のインサイトの夏休み」

永井均 「翔太と猫のインサイトの夏休み」 読了
基本的に著者のこれまでの著作の焼き直しであるが、飽きたというような感情はおこらず、むしろ著者がどれだけこの小さな文庫本に書かれている内容を深く、危機感を持って思考してきたか感動させられる。
著者は「哲学史を追うことは哲学をしていることではない」と主張しており、この小さな本でも自らの思考を追うことではなく、どれだけテーマが思考すべき価値があるかを提示してから読者がある程度自ら思考するように促している。また、それは一定の成功を収め、この本の魅力を生んでいると思うし、著者が自らの大学の講義で使用しているというのもうなづける。

ただ、どんなに文体を口語にし、会話形態で展開したからといって、「簡単」にはならない。その点では明らかに失敗している。この本で展開されているテーマを身に迫って危機に感じる高校生は非常に少ないと思わざるを得ず、従ってこの本を読む高校生の大多数は背伸びをしてかファッションで読んでいるのみとなるだろう。
現実にこの本のテーマを「自らの問題として」考えるのは大学も卒業が近くなってからとしか思えない。

あと、「私」が存在する事が、考えれば考えるほど困難で奇跡的という事は十分に理解したし、そこまで思考しなければならない必要性も十分に理解した。しかし、なぜその困難性と奇跡性が「かけがえのない価値」につながるのか、理解できなかった。
ここは著者のロジックは危険なアクロバットだと思った。

翔太くんが「翔太と猫のインサイトの夏休み」を読んでいるという仮定、設定、想定が最後の方ではなされているが、これも危険だと思った。最終話の父親の話は問題ないんだけど。。。ちゃんと考えなかったけど、別のフィクションを読んでいるという形にした方が良かったのでは。

2010年10月4日月曜日

colnago C50

colnago C50
かっこいい

けど、ほとんどのってない。持ってる中で一番高いのだが・・・


アクションバイキングが楽しすぎて、ということもあるんだろうけど。
ロードに初めて乗ったときは「速い!すげぇ!」だったんだよな・・・
結局あんまり楽しくなくなってしまった。

周りにローディが少ないからか。
乗るのに服装とかビンディングとか用意しなきゃいけないからか。