2010年10月16日土曜日

hammer house shiro kuramata

hammer house 倉俣史郎

また変なものを買ってしまった。

不思議なとんかち





なにがなにやら

正直、こいつの存在を知らなかったので、真贋や価値は良く分からない





払っただけの価値があればよいのだがw
まぁ、所有欲はまずまず満たされた。



2010年10月12日火曜日

予想どおりに不合理

予想どおりに不合理読書中
この手の本は常に面白い
ex. 行動経済学入門 ヤバい経済学

なぜ、面白いのか
テーマが明確(だいたいが小さい各論的テーマを集めた形で本にしている)。
さらにテーマが身近(だいたい実験とかフィールドワークに基づいている)。
て事なのだと思う。その上でエッと意外に思ったり、ムムゥと気付かされたりするから。

この本がさらに面白いのは、類書では希薄な、「著者の意見、意思」が見え隠れしている事だと思った。で、さらに面白いのは、めちゃくちゃラジカルな視点、発想から社会を眺めているのに、著者の意見は一面では非常に政治的意味で保守的に見えるということ。


で、
4章 社会規範のコスト なぜ楽しみでやっていた事が、報酬をもらったとたん楽しくなくなるのか
まで読み終えた。いろいろ考えさせられた。
著者は、親切でしたことに相手が値段をつけたら、親切した方は腹立たしく思うだろう、という例から論を始める。いくつかの実験を紹介し、どうやら経済的規範(報酬)より社会的規範(賞賛や感謝)に基づいて人を行動させた方が、強い動機付けとなる場合が多いと結論する。
これについて、現在の日本の医療界がおかれている状況が思い起こされた。

かつての医者は多分、恐ろしく働いていた。そしてそれを疑問に思ってはいなかった。むしろ誇りとしていた。
これは、尊敬され、感謝されという社会的規範がとても強かったからだろう。
アカヒゲのいた時代。

徐々に社会的規範が薄れてきて経済的規範が濃くなってくる。
「医療ミス」が批判される。(この現象の理由は個人的に考察中で結論出ず) そのため医者という地位に誇りがもてなくなる。
「高給」が批判される。これは「予想どおりに不合理」の他の章での考察に従うと、職業別の収入が報道されるようになったことも関係あるかもしれない。 そのため金銭的な事のために仕事をしているという意識が強くなる。
結果として薄給の地方公立病院で働く医師は減った。
社会的規範を経済的規範が上回るようになった。
この傾向は強力で、そして医師のモチベーションはとても下がった、、、と思う。どんなに高給でも(実際は高給でもないが)、昔のような熱意をもって長時間働く事はなくなった。

そして今。
医者の反撃は行われ、少し状況が変わってきた。これを言うのは勇気がいるけど。
反撃の内容は;
小松秀樹の言う「立ち去り型サボタージュ」的な有形無形のもの。それは地方の医療の崩壊へつながった。ネガティブな形で医師の必要性が意識づけられた。
「勤務医はそんなに高給じゃない」という広報。しごく真っ当だが、効果的で、同情が得られるようになった。自ら被害者、弱者と規定するスタイル。
このルサンチマンに満ちた反撃は一定の効果を得ているように思う。報道も単純な医者批判は減ってきた気がする。批判するにしても反論も報道する傾向があるように思う。
一時ほど、医師を取り巻く環境は悪くない、と感じている。

そして医者のモチベーションは、、、下がったまま。
「予想どおりに不合理」は一つの事例を紹介する。一度社会的規範から経済的規範へ変化し動機付けが弱くなった状況で、もう一度社会的規範に戻しても動機付けは弱まったままだったという事例を。